山に学ぶ

山梨県 黒岳

(掲載:2020年4月 回帰 創刊号)

【山梨県 黒岳】

標⾼ 1793m
⼭梨県笛吹市と南都留郡との境に位置する、⼭梨百名⼭、⽇本三百名⼭のひとつ。
難易度は中級レベル。

⼦供の頃、⽗に連れられ神奈川県にある⼤⼭へ登ったことがある。鍛え抜かれた⽗の背中を追いながら登ったあの記憶は、数⼗年の時の経過とともに曖昧になってきた。

 

もしかすると、あれは登⼭ではなくハイキングだったのかもしれない。そう感じるほど、今回の黒岳はきつかった。実は本格的な登⼭は、⼤⼈になって これが2度⽬だ。正確に⾔うと、1度⽬はこの黒岳のたった1ヶ⽉前。体⼒づくりが間に合っていなかったのも多少あるが、⼭をなめていた感は否めない。

 

早朝 6時半に河⼝湖近くの登⼭⼝に⽴った私達は、いきなり試練にぶつかった。気後れしてしまいそうな急傾斜だ。傾斜が増せば当然のことながら⾁体への負荷はかかる。⼤丈夫だろうか。3⼈で声を掛け合いながら、必死で前を進む。

想像以上の厳しい⼭道に、⾜が取られ呼吸も乱れる。いかんせん、ペース配分も未熟だ。泣き⾔は⾔いたくないが、初⼼者の⾝体に黒岳の洗礼がじわじわと突き刺さった。しかも標⾼が⾼くなるにつれ、次第にあたり⼀⾯⽩銀の世界となり、さらに体⼒が奪われる。それでも、途中ですれ違った数組の登⼭者との会話が、疲れた⼼を和ませてくれた。

何合⽬あたりだろうか、ふと振り返っ たその向こうに、どっしりと佇む富⼠⼭の姿が視界の領域を満たした。その圧倒的な存在感と美しさに息をのむ。

そのままゆっくりと裾野に沿って⽬線を下ろすと、吸い込まれそうな濃いブルーに染まる麓の景⾊が広がった。そこに点在する無数の光は、⽇本⼀を誇る⺟なる⼤⾃然と共⽣する⼈々の営みと躍動だ。なんと偉⼤で雄⼤なのだろう。この瞬間だけで⼀気に疲労が吹っ⾶び、⽇常のサビが綺麗に剥がれ落ちた。登⼭の魅⼒の8割はこれに尽きるのではないだろうか、そう感じる。

 

⼤⾃然の後押しを感じエネルギーチャージした私達は、そこから最⾼峰までの急登を怪我もなく無事に登り切ることができた。ようやく元の登⼭⼝へ下⼭した時にはすでにスタートから 9 時間が経過していたが、初⼼者としてはまずまずだと⾃負する。 下⼭後は、近くの温泉で汗を流し⼀息ついた。不思議なことに3⼈とも疲労感はなく、なんなら今からもう⼀度登れるんじゃないか?という余裕さえあり⾼揚感に満ちていた。

⼈間の潜在能⼒は未知数だ。あとで調べたら、これはβエンドルフィンというホルモンのなせる技らしい。いわゆるランナーズハイだ。 登⼭の魅⼒はこれだけではない。これは私⾒だが、⼭には事業のヒントが転がっていると感じる。


例えば、次のことは実際に私達が経験したことだ。⼭には、登⼭者が遭難しないよう、道先案内⼈となる⽴て札や⽬印になるリボンが付けられている。ある時、私達はこの⽬印を⾒落としてしまった。そしてもれなく道に迷ってしまったのだ。すぐにそのことに気付き難を逃れたのだが、元の分岐点に戻った時に、先程は⽬に⽌まらなかった、ゆらゆらと⾵に揺れる⾚い⽬印を⾒つけた。


「なぜ、気付かなかったのだろう」3⼈もいて全員それを⾒落とすという痛恨のミス。物事には必ず理由がある。⽬線を変えると⾒えなかったものが⾒えてくるし、逆に⾒えなくなることもある。⼀旦振り返り「なぜ?」という疑問を持つことが⼤切だ。そしてその疑問を疑問のままで終わらせるのではなく、新しい思考への動線を建設していく癖づけが重要だと思う。

 

ただ黙々と登るのではなく、そんなことを意識しながら登ると、ある瞬間にとんでもないひらめきが⽣まれたりする。現に、この黒岳では新しい事業のアイデアが⽣まれた。そんな副産物と⽇々の⽣活では得難い魅⼒にとりつかれ、来⽉もまたどこかの⼭へ挑むことにする。

 

松本 隆宏(文/山本さくら)

【後記】

 

登⼭ショップの店員は⼤抵登⼭経験者だ。初めてショップへ⾜を運んだ時に、私はまず店員と仲良くなった。服装や準備物のレクチャーを受けるためだ。「わからないことはまずプロに聞く」これが私の鉄則である。

 

知識がないのにあれこれ悩みながら店内をさまよう事ほど無駄なものはない。さて、いよいよ明⽇だという時に、仲間のそれぞれの準備物を聞いて少々焦った。救急グッズやコンパスなど、私が全く気にも留めなかったものを購⼊していたからだ。着眼点の違いやそれぞれの性格が反映されていて、妙に可笑しく笑みが溢れた。と同時に仲間の頼もしさを感じた。