1985年のイラン・イラク戦争。48時間後の攻撃が迫り来る中、トルコからの救援機によりイランに取り残された日本人215名全員が危機一髪脱出した。
なぜこの時、トルコは自国のリスクを顧みず日本人を助けたのか?
なぜ、9000kmも離れたトルコは親日国家なのか?
時は1890年(明治23年)、舞台は和歌山県串本町。日本は幕末の落ち着きを見せ始め、初代総理大臣に伊藤博文が就任し国を牽引していた頃である。
ある日、オスマン帝国(のちのトルコ)の親善使節団ら乗組員500名以上を乗せた軍艦エルトゥールル号が、串本沖で嵐により座礁、大破した。
海に投げ出された乗組員を救出するべく、暴風雨という過酷な状況下で、医師・田村元貞(内野聖陽)や助手のハル(忽那汐里)ら地元住民が、決死の救援に乗り出す。
監督は『精霊流し』『天外者』などの田中光敏が指揮、当時の状況を史実に基づき克明に映し出している。
両国の深い絆を結ぶきっかけとなったこの海難事故。事故後、治療に携わった医師たちは「目の前の困っている人を助けただけ。治療費は遺族の方へ渡してください」と、トルコ政府からの治療費を受け取らなかったという。
1890年といえば、ペリー来航から37年。初めて外国人の姿を目にした人も少なくなかったであろうと察する。とりわけ地方においては豊かさとはかけ離れ、生きていくことに精一杯だった時代だ。
貴重な食物を分け与え献身的に看病にあたった地元住民の姿は、現代日本人が失いつつある慈愛の精神が温かく描写されている。
2つの救出劇を繋ぐ後半の空港シーンの撮影には、多くのトルコ人エキストラが仕事を休んでまで協力したという。人種を超えた国と国との絆は、詰まるところ人と人との絆であり真心なのだと、滂沱の涙を禁じ得ないものがあった。