時空の旅

「箱根神社 神奈川県足柄下郡」
鎌倉幕府の崇敬神社 源頼朝ゆかりの地をあるく

(掲載:2024年1月 回帰 第16号)

元箱根から望む富士山と箱根神社の鳥居

【箱根神社】

神奈川県足柄下郡箱根町元箱根にある神社。御祭神は箱根大神。奈良期に万巻上人が、僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったとのが始まりとされる。平安時代に、石橋山の戦いで敗れた源頼朝は、当社の権現別当である行実に助けられた。

 

【九頭龍神社本宮】

御祭神は九頭龍大神。箱根神社の境外社であり、箱根園の箱根九頭龍の森の中に位置する。箱根九頭龍の森には、そのほか弁財天社、白龍神社が鎮座する。

箱根神社を訪れるきっかけとなったのは、前回の奈良の吉野山の取材に遡る。

兄の源頼朝に追われた源義経は、静御前らとともに吉野山の吉水神社に身を隠した。その後、各地を転々としながら追い詰めたれた義経は、最後、奥州(現在の岩手県)の衣川館で自害する。弟を死に追いやった頼朝は、本当に冷酷な独裁者だったのだろうか。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に沸いた一昨年を振り返りながら、頼朝ゆかりの地、箱根神社へ向かうことにした。

あと1週間で年の瀬を迎えようとしている早朝の芦ノ湖は、想像以上に寒く、眠気が一気に吹き飛んだ。吐く息が朝日に照らされ白く輝くのを視界で捉えながら、芦ノ湖のほとりを沿って箱根神社へと歩を進める。

さすがにこう寒いと人の気配はほぼ無いが、混雑するよりは断然いい。第三鳥居から入り第四鳥居をくぐった辺りから、全身の毛穴がキュッと縮こまる感覚に襲われた。背筋が伸びるようなご神気は寒さをさらに助長させる。

気温も1、2度は違うだろう、耳がキーンと痛い。それにしても、人がいない箱根神社の空気がこんなにも清らかで神々しいものとは。「早起きは三文の徳」というが、昔の人はうまいことを言ったものだ。

関東屈指・箱根神社にみる頼朝の軌跡

史実によれば、1180年、頼朝は石橋山における平氏との初戦で壊滅的な敗北を喫し、真鶴から小船で安房国(現在の千葉県南部)へ逃れる。そこで再起した頼朝は、源氏軍総大将に弟の義経をおき、壇ノ浦の戦いで勝利を収めた。

その後、鎌倉幕府を開いた頼朝は、石橋山の戦いの際に身を潜めていた箱根権現(現在の箱根神社)と、北条政子とのゆかりの地・伊豆山権現(現在の伊豆山神社)を関東の鎮護神として厚く信仰。そこに、自身が流刑時代に崇敬していた三嶋神社(三島大社)を加え、二所詣(三社詣)を創始した。

一方義経は、兄の命を受け見事に平氏を討伐し大功をあげたものの、ボタンのかけ違いから兄の怒りを買い、身内ともども殺害されるという凄惨な末路を辿る。

生前、兄との関係修復を祈願して、箱根権現に太刀「薄緑丸」を奉納したが、その願いが叶うことは最期までなかった。様々な経緯があったとはいえ、もしかすると頼朝の心の片隅にも、弟との関係修復がよぎった瞬間があったのかもしれない。彼らが生きた時代などバックボーンに想いを馳せ本殿で拝礼した。

九頭龍神社から臨む日本の原風景

箱根神社からさらに北西へ進むと、九頭龍神社本宮がある。その昔、芦ノ湖で荒れ狂い人民に損害を与えていた毒龍を万巻上人が調伏。以来、龍神となった九頭龍大神が芦ノ湖の神様となったと伝わる。

つまり、九頭龍大神は箱根大神の眷属という密接な関係であり、箱根大神の御神徳なくして九頭龍神の御神威は発揮しないということから二社セットのお詣りが良いとされる。

ザ・プリンス箱根芦ノ湖から続く、セラピーロードと呼ばれる小径を歩くと、すっかり冬支度を済ませた木々の隙間から富士山が見えた。

キラキラと光る湖越しの富士の美しさたるや、言語に絶するものがある。九頭龍神社の御利益は、金運、開運、商売繁盛に縁結び。「縁結び」と聞くとなるほど、圧倒的に女性参拝客が多いのも納得だ。

本殿から伸びる先の湖には、小ぶりではあるが美しい朱の鳥居が浮き立つ。そこに時折、白鷺が舞い降りる風景はまさに花鳥風月。せっかく訪れたなら、参拝だけにとどまらず、しばし天が与えてくれた日本美の恩恵に浴してみるのもいいかもしれない。

箱根神社・正参道

箱根神社・本殿

箱根神社・龍神水舎

箱根神社・平和の鳥居

九頭龍神宮本宮

箱根神社・宝物殿