元箱根から望む富士山と箱根神社の鳥居
【川越市】
埼玉県南西部に位置。小江戸と称されるレトロな街並みは、岡山県倉敷市、福島県喜多方市とならぶ「日本三大蔵の街」に選定。そのほか、国の「重要伝統的建造物群保存地区」「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定。JR川越線・東武東上線(川越駅)、西武新宿線(本川越駅)が乗り入れており、アクセス良好なことから観光スポットとして人気が高い。
京都に似た景観を「小京都」と呼ぶのに対し、江戸に似た景観を「小江戸」という。江戸期から幕府のお膝元だった川越は、江戸の情緒を今も残すことから、近年「小江戸川越」と称されるようになった。
明治期の川越大火の際、耐火性の高い土蔵造りだけが焼失を免れたことに着目した商人たちは、積極的にその建築技法を取り入れた。また、建築資材にレンガや大谷石、御影石などを新たに採用。川越商人の美意識の高さが伺える。
その川越大火で生き残った代表的な建造物であり、現在の川越の街並みの礎ともいえる国指定重要文化財「大沢家住宅」は一見の価値がある。
そのほかネオルネッサンス様式の「りそなコエドテラス(埼玉りそな銀行旧川越支店)」や、「山吉ビル」「川越キリスト教会」といった洋風建築も点在し、レトロモダンな街並みを形成している。
歩いてみるとわかるが、この歴史街道は思いのほか広い。戦時中に空襲の被害をほぼ受けなかったことで、古くからの街並みがそのまま残ったのが理由だそうだが、1日では到底観てまわれない広さだ。
蔵造り通りにある一軒の団子屋で小腹を満たしていると、突然鐘音が鳴った。何事かと店主に尋ねると「『時の鐘』が12時を告げる音だ」と教えてくれた。
街のシンボルである「時の鐘」の鐘楼は、江戸期の3代目川越城主・酒井忠勝が建造。時間に厳しい忠勝は、6時・12時・15時・18時の4回、鐘撞番人に鳴らさせて庶民の生活を律したという。
現在はさすがに人力ではなく、自動鐘打機で行っているらしい。目を閉じて耳を澄ませると、当時の街の息遣いや人々の営みを感じられるかもしれない。
外湯「一の湯」から約1kmをかけて続く美しい桜並木
「時の鐘」からかねつき通りを東へ15分程歩いたところで、川越城本丸御殿が見えてくる。決して華やかさはないが、川越17万石にふさわしいどっしりとした重厚な構えが魅力的だ。
川越城は1457年、上杉持朝の命により家臣の太田道真・道灌が築城。江戸期には北の守りとして重んじられ、幕府の重臣たちが代々城主となった。
1848年に入り本丸御殿を造営。当時1025坪、16棟あった規模は、明治に入り少しずつ縮小され、大広間、移築復元された家老詰所、玄関のみ現存する。
日本で本丸御殿の大広間が残っているのは川越城と高知城のみ。全国的にも、川越の歴史を語る上でも欠かせない貴重な存在だ。
城崎温泉の守護寺「温泉寺」。古式入湯作法を今に伝える
小江戸川越が一年で最も賑わうのは、10月の第3日曜日とその前日に行われる「川越まつり」。開催範囲は、市の主要駅(川越駅、川越市駅、本川越駅)から観光中心地である蔵の街商店街まで広範囲にわたる。
370年の歴史をもつこの「まつり」は、江戸の天下祭の様式に川越の特色を加えながら独自に発展してきた。
見どころは、精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車の曳行。町内ごとに保有する山車と山車が出会うと、「曳(ひ)っかわせ」と呼ばれるお囃子と踊りの競演がスタート。何台もの山車が辻で相対する迫力に、まつりは最高潮を迎え市民や観光客は胸を躍らせるという。活気溢れる「川越まつり」は、歴史に裏打ちされた川越のブランド力の象徴ともいえる。
宵の時間帯になると、街はライトアップされガラリと表情を変える。やはりこの街の魅力を知るには1日では足りない。次の機会を楽しみにして、今回の時空の旅はひとまずお終い。
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