「グラバー邸」英国商人トーマス・ブレーク・グラバーの住宅で国内最古の木造洋館建築
【長崎市】
人口400,796人。長崎県の中央に位置する。三方を山に囲まれたすり鉢状の地形により、坂が多い街としても有名。日本3大夜景として知られる稲佐山からの夜景、教会群、グラバー園など観光スポットが多数あり県の観光業を支えている。
2年前の4月。長崎空港に降り立った私はレンタカーを走らせ市街地へ向かった。
松が枝町でクルマを停め大通りを歩いていると、偶然にも、豪華客船クイーンエリザベス号が寄港している場面に遭遇。どうやら2年振りの寄港らしく、付近は外国人乗客で溢れ返っていた。
「クイーンエリザベス号」英国女王エリザベス2世によって命名されたイギリスの豪華客船。現在のものは3代目にあたる
その人波を掻き分け最初に向かった先は「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」。昭和初期の天才建築家、下田菊太郎が設計した唯一現存する遺構だ。1931年に閉鎖されるも、その後は警察署や民族資料館として使用され、長らく市民から親しまれてきた市内最大の石造り洋館である。
ひとしきり見学した後、私はこの旅の最大テーマである、あの場所へ向かった。記念館を出て緩やかな坂を登ること5分、やがてその入り口が姿を現した。「グラバー園」である。
中に入ると、県内外からの観光客や先ほどの外国人たちで適度に混雑していた。ここは、当時このエリアにあった旧グラバー邸をはじめとする3つの洋館と、市内に点在していた明治期の歴史的建築物を移築復元したものだという。
「旧香港上海銀行長崎支店記念館」1904年竣工、建築家下田菊太郎による設計。長崎市内の石造洋館としては最大規模。
グラバー邸当主トーマス・ブレーク・グラバー。ここにいる観光客のうち、どのくらいの人が彼の本来の来日目的について思索しているだろうか。
倒幕目的だったという説が後を絶たないのは、最終的に薩長討幕派が勝利を収めた裏で、大政商へと成功していたことが憶測の憶測を生んでいるのかもしれない。
ただひとつだけ言えることは、海外から渡ってきた外国人貿易商や幕末の志士たちが集い、この地が明るく活気に満ちていたという事実だ。
グラバー園から眼下に広がる長崎港を眺めていると、当時の人々が闊歩する在りし日の長崎を垣間見た気がした。
「グラバー園」
五島列島や生月島とともに、隠れキリシタンにまつわる史跡が多く残る外海(そとめ)地区。クルマから降り一帯を歩いていると随所にその面影を感じられる。
この地を愛した小説家・遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台にもなった”黒崎教会”もそのひとつ。フランス人宣教師ド・ロ神父の指導のもと、当時の1円が現在の4,000円に相当する時代に、総工費16,000円、23年もの年月をかけて完成。その背景には、敬虔な信徒たちの多くの犠牲と奉仕があったという。
キリシタン文化を象徴する聖堂の内部は、三廊、リブ・ヴォールト天井、色鮮やかに輝くステンドグラスなど、美しいゴシック様式の特徴を見せ、見る者の心を強く揺さぶる。聖堂内を包み込む神秘の光は、独自のカタチを守り祈りを捧げてきた人たちの心を癒し続けてきたのだろう。その表情には先人たちの想いと歴史の重みが刻まれていた。
松本 隆宏(文/山本さくら)
「カトリック黒崎教会」